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伝説のお笑い芸人『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』つちや書店から発行 放送芸術学院専門学校等の澤田学校長の絶筆

澤田先生の絶筆となった著書(左)と、放送芸術学院専門学校の卒業式の1シーン(2020年3月)

澤田先生の絶筆となった著書(左)と、放送芸術学院専門学校の卒業式の1シーン(2020年3月)

「てなもんや三度笠」(朝日放送制作)など数々のTVのお笑い番組を手がけたメディアプロデューサーで、88歳で亡くなった放送芸術学院専門学校および東京俳優・映画&放送専門学校の学校長、澤田隆治先生の絶筆となる著書『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』が5月27日(木)、滋慶学園グループの「つちや書店」(東京都文京区)から発行されました。ルーキー新一は、澤田先生が発掘した伝説的なコメディアンで、破天荒な人生を送った人物。昭和のお笑いや喜劇の世界の舞台裏を垣間みることが出来ます。

1955(昭和30)年、朝日放送に入社した澤田先生は「スチャラカ社員」「新婚さんいらっしゃい!」など多数の人気番組をつくりました。1975(昭和50)年に番組制作プロダクション「東阪企画」を立ち上げてからも、漫才ブームのきっかけとなった「花王名人劇場」(関西テレビ・フジテレビ系)などを企画。その後、全日本テレビ番組制作社連盟の理事長や「笑いと健康学会」の会長なども務めました。演芸関係の著書も多数あります。

昭和の喜劇の舞台裏を垣間見る

澤田先生は若いころ、担当したラジオ番組「漫才教室」(1957年〜61年)で後のルーキー新一こと直井新一に出会いました。素人ながらもお笑いのセンスを感じた澤田先生は、その後人気者になるきっかけとなる「てなもんや三度笠」や「スチャラカ社員」などのTV番組に起用し、ルーキーを応援していきます。

  • テレビ番組の仕事をはじめた頃の思い出

    テレビ番組の仕事をはじめた頃の思い出

  • 「てなもんや三度笠」のメモリアル。澤田先生の姿も

    「てなもんや三度笠」のメモリアル。澤田先生の姿も

ルーキーは腰を左右に振りながらの「イヤーン、イヤーン」や「これはエライことですよ!」などのギャグを流行させ、人気お笑い芸人として一世を風びするのですが……。人懐っこい素顔のルーキー新一は、ギャンブル好きだったり見栄っ張りだったり、才能がありながらも破滅の道を進んでいくのです。

巻末には仲間の芸人たちと旗揚げした「ルーキー新一劇団」が、1976(昭和51)年に浅草で上演した喜劇の台本を掲載。ルーキーの作り出すお笑いの世界を堪能できます。

日本の喜劇界をけん引した証

誰よりもルーキーの才能を評価していた澤田先生は、新しい時代の中で忘れ去られようとする稀代の喜劇の天才の足跡を残そうと、数年前から書き綴っていたそうです。本書は、昭和のお笑いの歴史を記録しようという使命感から生まれた澤田先生の遺作ともいうべき作品です。

  • レコードも出していた伝説の芸人

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  • 澤田先生は貴重な喜劇の台本も残しています

    澤田先生は貴重な喜劇の台本も残しています

つちや書店の佐藤秀社長は「澤田先生と本書の企画を始めて約2年。先生が『昔の喜劇人は面白かった。そんな喜劇人がどんどん忘れ去られようとしている。元気なうちに彼らのことを書き残していきたい』と仰っていたのを思い出します。この本には、ルーキー新一に対する澤田先生のあふれるような愛情、日本の喜劇界をけん引した証が残されています。本書の発行を待たずに永眠されたことは残念でなりません」と話しています。

『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』はB6判。1,650円(税込)。

【著者:澤田隆治(さわだ たかはる)】
大阪府吹田市出身。1955年に朝日放送に入社。視聴率60%を超える驚異的な人気を誇った「てなもんや三度笠」などのコメディー番組や「ただいま恋愛中」「新婚さんいらっしゃい!」などのトーク番組を企画・制作。「視聴率男」の異名を取りました。1975年に制作プロダクション「東阪企画」を設立。79年に始まった「花王名人劇場」は漫才ブームにつながります。著書に『私説コメディアン史』『上方芸能列伝』『永田キング』など多数。2021年5月16日に死去。

■【訃報】澤田隆治学校長が逝去されました
http://www.jikeigroup.net/news/20210517_36500.html

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