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骨髄移植で白血病が回復した学生 ミュージカルで熱演しました! 仙台での明日への扉「Hospital Of Miracle」

フィナーレの手話コーラスで「星空のベッド」を歌う澤村凌多さん(右から2人目)

仙台市で12月1日(金)・2日(土)に行われた骨髄移植推進キャンペーン・東日本大震災復興支援ミュージカル 明日への扉「Hospital Of Miracle(ホスピタル・オブ・ミラクル)」には、急性骨髄性白血病を患い、骨髄移植によって回復した仙台コミュニケーションアート専門学校(SCA)の音楽コミュニケーション科2年、澤村凌多さん(24)が出演しました。終演後、白血病で亡くなった女優の夏目雅子さんの実兄で「財団法人夏目雅子ひまわり基金」理事長、小達一雄さんが舞台で「白血病に苦しんだ方も演じてくださいました」と澤村さんを紹介すると、会場からは大きな拍手が贈られました。

澤村さんの役は、学校でいじめを受け生きる希望をなくした主人公の少女、エリカの父親という重要な役柄。友人や先生ばかりか家族にも心を閉ざしてしまうエリカを見舞うため何度も病院を訪れるのですが、「もう来ないで!」と追い返されます。

そして、エリカと共に病院内ディスクジョッキーを始めた男性ミュージシャンに手紙を送り、「終電まで毎日毎日、家族の幸せのために働いてきました。しかし、頼りがいのない父親に相談もできず、ひとり娘は苦しんでいたのです…」と告白するのです。働くお父さんたちの応援歌「ヒーロー」の歌にあわせ、澤村さんは他のお父さんに扮したメンバーとダンスを踊ります。

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    娘の苦しみを理解していなかったと悔やみます

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    お父さんの応援歌「ヒーロー」で踊る澤村さん

終演後は出演した仲間たちと一緒に、澤村さんはひときわ大きな声で「募金にご協力ください」と呼びかけていました。

澤村さんは夏前にホスピタル・オブ・ミラクルの父親役が決まり、夏休みをほとんど返上して猛練習を続けてきました。「最初は自分が現実に味わった白血病の経験と、フィクションとして描かれる白血病とのギャップに違和感を覚え、苦しむこともありました。今は自分と同じ病気にかかった人を助けられる機会を頂けて、本当に光栄です」と話しています。

急性骨髄性白血病と診断されたのは、東日本大震災の翌年の2012年5月、声優・俳優の道をめざして首都圏の大学に入学した直後のことでした。その時はまだ18歳です。大学も中退せざるをえません。病院では抗がん剤と放射線による治療を受け、約1年間は通院しながらの生活が続きました。いったんは治まったものの、再発していることがわかったのです。

2014年、仙台医療センターで姉の骨髄液の移植手術を受けました。その後は徐々に普通の生活ができるまでに回復していきました。1年間は新聞配達のアルバイトを続け、体を鍛えたこともあったそうです。

苦痛や恐怖を振り切るために芝居に打ち込む

キャストの仲間たちと、はいポーズ!

「白血病を患ってからは、それまで芝居の勉強だけをしてきた自分を変えたいと思うようになりました。水族館で働こうと思った僕は、最寄りの専門学校でエコ・コミュニケーション科があるSCAへ向かいました」と澤村さんは振り返ります。SCAに入学したのは2016年春、最初に白血病の診断を受けてから4年が過ぎていました。その後やはり夢が忘れられず、転科申請をして音楽コミュニケーション科(声優&俳優専攻)で学ぶようになりました。

澤村さんは仙台のクラーク記念国際高校の出身です。2011年3月11日の東日本大震災のときは2年生。ちょうど3年生の卒業式当日だったそうです。「支援に駆けつけたプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎校長とも会って握手をしたことは、忘れられない思い出です。お会いした回数は数えるほどしかありませんが、どれだけ歳を重ねても自分への挑戦と社会への貢献を続ける三浦先生を尊敬しています」と話しています。

今は卒業公演の準備に入っているという澤村さん。今後についてこう語りました。「今の僕は、白血病で味わった苦痛や恐怖を振り切るために芝居に打ち込んでいます。何かを必死に演じている間だけは生きていると感じられるからです。だからこそ芝居(特に声優・ナレーション)の世界で生き残れるよう研鑽を積んで、いつか心からお客様と一緒に楽しめる演技ができるようになりたいと思います」。

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